- 1.
- 2.
- 3.
- 4.
- 5.
- 6.
- 7.
- 8.
- 9.
- 10.
- 11.
- 12.
- 13.
- 14.
- 15.
- 16.
- 17.
- 18.
- 19.
- 20.
- 21.
- 22.
- 23.
- 24.
- 25.
- 26.
- 27.
- 28.
- 29.
- 30.
- 31.
- 32.
- 33.
- 34.
- 35.
- 36.
- 37.
- 38.
- 39.
- 40.
- 41.
- 42.
- 43.
- 44.
- 45.
- 46.
- 47.
- 48.
- 49.
- 50.
- 51.
- 52.
- 53.
- 54.
- 55.
- 56.
- 57.
- 58.
- 59.
- 60.
- 61.
- 62.
- 63.
- 64.
- 65.
- 66.
- 67.
- 68.
- 69.
- 70.
- 71.
- 72.
- 73.
- 74.
- 75.
- 76.
- 77.
- 78.
- 79.
- 80.
- 81.
- 82.
- 83.
- 84.
- 85.
- 86.
- 87.
- 88.
- 89.
- 90.
- 91.
- 92.
- 93.
- 94.
- 95.
- 96.
- 97.
- 98.
- 99.
- 100.
- 101.
- 102.
- 103.
- 104.
- 105.
- 106.
- 107.
- 108.
- 109.
- 110.
- 111.
- 112.
- 113.
- 114.
大人気スター美人・横綱・乙女富士の楽しい青春の日々
女性相撲とはいえ、美人・横綱・乙女富士ともなるとその相撲の強さも、人気も桁違いにすごかったのです。
彼女の相撲はどちらかというと、四つ相撲で左上手をひくと左からの上手投げが強烈で、相手力士はこらえようがなくきれいに投げとばされるのです。
彼女は本場所のない時は部屋で同じ部屋にいる20人ほどの妹弟子にけいこをつけてやるわけですが、この時は本場所の時のように本気はださず手加減して、下の者たちが強くなることだけを願って優しく、時にはいろいろなアドバイスもしながらけいこをつけてやったのです。
けいこが終ると、弟子たちと一緒に、おいしいチャンコ鍋を囲み、あぐらを組んでわいわい楽しい話しをしながら、酒やビールを腹一杯飲み相撲部屋の楽しい1日が終るのです。
この光景はまさに男性の相撲部屋の光景とまったく同じでした。
当時、女性相撲界では「乙女富士部屋のチャンコ鍋はどこの部屋よりも格段にうまい」と言われており、このうまいチャンコ鍋を食べたくて、乙女富士部屋に入門したお姉ちゃんもけっこういたのです。
美人・横綱・乙女富士はただたんに相撲が格段に強いというだけではなくとびきりの美人の大人気スターでしたから、江戸じゅうの男性ファンの熱狂ぶりもこれまた横綱級だったのです。
今の時代なら芸能人や好きな力士、好きな野球選手にファンレターをだすのなど当り前のことですが、あの当時はまだファンレターなどなかった時代ですから彼女はおそらく、日本の歴史上、最初のファンレターの山を毎日、受け取った人気スター・第1号だったのでしょう。
1日、3000通ものファンレターが、毎日、まいこんだのでした。
又、彼女のプロマイドも飛ぶように売れ、生産がまにあわないほどでした。
あの当時は、今のようなすばらしいカメラなどなかった時代ですから、特別にうまい人物画の名人が何人もかかって、毎日、毎日1枚1枚ていねいに描いて、つくっていたのです。
美人、横綱・乙女富士の所属する相撲部屋である「乙女富士部屋」は原則的には女性力士だけが所属する相撲部屋でありました。
女性力士の入門希望者ももちろん、かなりいたのですがよからぬ魂胆をもって入門を希望する変態気味といいますか今風に言いますとアブノーマルな困った、熊った男性入門希望者が後を断たなかったのです。
乙女富士はその男性入門希望者の怪しげな下心を充分にわかった上で何と自分の好みのタイプの若くて、可愛い、お兄ちゃんを10名ほど入門させたのです。そして髪には赤のリボンをつけ、イアリング、ネックレスをつけ、入念に化粧をして喜び、ぶつかってくる若い新弟子にけいこをつけてやったのです。
彼らは感激のあまり、へとへとに疲れても最後までまじめにけいこをし、けいこ後には格別においしいチャンコ鍋をつつき、夢にまで見た、女性相撲部屋における楽しい、新弟子生活が始ったのです。
「明日からも、横綱・乙女富士、お姉ちゃんからけいこをつけてもらえる。あわよくば、部屋にいる可愛い女性力士のお姉ちゃんともけいこができる。ウッヒッヒー」
こんな楽しいを夢をいだきながら、一人にんまり笑って、彼らは床についたのでした。
今の相撲界では交通機関が発達しているお陰で、本場所と本場所のあいまに巡業と称して、日本全国を巡りますが、江戸幕末の時代は、今のように交通機関が発達しておらず、日本全国を巡ることはできず、馬や駕籠(かご)に荷物や力士をのせて関東一円を、今でいう東京、神奈川、埼玉、千葉、栃木、群馬あたりを細々と巡っていたのです。
それでは、ある日の巡業のプログラムを御紹介いたしましょう
第一部 男女混合、相撲・日本一決定戦
第二部 お楽しみ・歌謡ショー
彼女は、第一部では、女性横綱として登場し、その強さ、すごさを遺憾なく発揮し並居男の力士を次々と投げとばしていたのですが、あくまでも本場所ではなく巡業の相撲であった為、時には手を抜き、相手力士に花をもたせてやったりもしていたのです。
第二部の歌謡ショーになると今度は彼女は人気歌手として、ステージに颯爽と登場しその絶品の喉を披露したのですが、そこまでにはすんなりとはいきませんでした。 幕末の頃は今と違って、シャレた歌謡曲などなく、そこで彼女は5代あとの子孫であるまだ見ぬ、ひいひいひいひいひい孫たちから、21世紀の日本で人気のあるすばらしい曲を教えてもらいそれをマスターして歌い、観察から絶大な拍手喝采、紙吹雪をあびかかえきれないほどの花束をプレゼントされ感動的なフィナーレとなったのです。
それでは最後に幕末の華のお江戸の大人気スター・美人・横綱・乙女富士のすばらしい人生について、簡単に御説明いたしましょう。
幕末の世を湧かせた大人気スター、美人、横綱・乙女富士は新撰組の近藤勇 (1834年・天保5年生れ)や沖田総司(1814年弘化1年生れ)とほぼ同じ頃、1840年、天保11年江戸の町の裕福な家庭に生れました。
わかりやすくいえば、アメリカのペリーが浦賀に来る、13年前だったのです。
生れた時から彼女はお姫様のように非常に可愛いく、回りの人から「可愛い」「可愛い」とずいぶん言われたと伝っています。
彼女はすくすくと成長し、新撰組の剣士たちが京都、会津、箱館......と戦地を転々としていた頃(1863年、文久3年~1869年明治2年)、美人横綱・乙女富士も年齢は25歳、まさに花の盛りであったのです。
新撰組の剣士たちは悲しいかな、明治の世が誕生する頃、もうこの世にはいなかったのです。
彼女はそれからも恋しい新撰組の剣士たちのぶんまでも生きようと必死に生き80歳まで生き、1920年、大正9年惜しまれつつ亡くなりました。
これほどまでに実績と人気のあった、幕末の大人気スター・美人・横綱・乙女富士ですが、どの日本史の書物を見ても、彼女のことは一切書かれていません。
まさに、彼女は、日本の歴史における七不思議の一つであったのです。
100年ほど昔にこの世を去り、現在は地球を回る宇宙船「夜空に輝く・美人・横綱・乙女富士号」の船長をつとめる乙女富士さんから、日本の相撲ファンの皆様にメッセージが届いていますので、御紹介いたしましょう。
「21世紀の日本の相撲ファンの皆様、初めまして、私は今から160年ほど昔の江戸幕末の時代、江戸じゅうの相撲フェンの胸を熱くたぎらせ、史上最強の女性相撲界の女王とうたわれた通称美人・横綱・乙女富士と申します。
自分で言うのもおこがましいのですが、絶世の美人と言われ、すごい人気を誇っておりました。
長い日本の歴史の中でも、女王様とうたわれたのは遠い2,000年も昔に存在していたと 言われるかの邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)女王様と私の2人だけでありましょう。
卑弥呼女王様につきましては、この娯楽時代劇の第43話にも書かれておりますからどうぞそちらをご覧下さい。
私は21世紀の日本の相撲ファンの皆様にもぜひ私と、私の相撲の強さ女性相撲のすばらしさをご覧になっていただきたいと希望しております。
私の知る限りでは、現在の日本では女性柔道や女性レスリングはあるようですが女性相撲はないように見うけられます。もちろんオリンピックの種目にも入っていません。
皆様からは、日光江戸村にお越しいただき、ぜひ、私の相撲の強さと、女性相撲のすばらしさを味っていただきたいと存じます。
私は、只今、日光江戸村の観光大使もつとめさせていただいております。
そのてんからも、どうぞよろしくお願いいたします。
私は現在、日光江戸村にある「美人・横綱・乙女富士・記念相撲場」において毎日エキシビジョン、模範試合として、女性相撲のPRの為、相撲をお見せしております。
私はいろいろな相手と相撲をとりますが、見ているお客様から見ましたら私が新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司といった相手と相撲をとるのが一番おもしろいのではないでしょうか。彼らとは、毎日、毎日、もう100回以上も相撲をとりましたが、私は負けたことは一度もありません。いつも私が軽々と投げとばし、私の勝ちとなるのです。 又、私たちの相撲がおもしろいのは土俵に上ってから仕切りをしながら右手を上げて観客の声援にこたえること、そして勝った後又右手を上げて観客の声援にこたえることです。
又、私は横綱の土俵入りをする時は赤いリボンやイヤリング、ネックレスなどをつけ入念に化粧をして女性らしい色香をただよわせながら、1日に何回もおこなっておりますが、その時は新撰組の仲間たちも協力してくれ彼らは誠の字を書いたハチマキをし、青色のダンダラ模様の羽織を着て、誰が見ても新撰組とわかる服装をして、太刀持ちと露払いをつとめてくれます。さらにその衣裳で行司もやってくれます。本当に彼らの友情はありがたく感謝しております。
一日のスケジュールが終り、宿に帰ったら、彼らにはおいしいチャンコ鍋をいっぱい食べてもらい、酒とビールをいっぱい飲んでもらい労をねぎらってあげようと思っています。
日光江戸村には浅草にある仲見世のような商店街があります。
その中に私の店「美人・横綱・乙女富士の店」があります。
ここでは私と新撰組と江戸幕末に関するグッズを販売しております。そのグッズのいくつかを御紹介いたしましょう。
私の横綱・土俵入、私と新撰組が戦っている相撲、私が優勝し、表彰式で徳川家康・優勝杯を受け取る晴れ姿・・・・を収録したDVD、新撰組が着ていた誠の字の書いたハチマキと青色のダンダラ模様の羽織、新撰組の刀、乙女富士や新撰組のサイン色紙、京都・池田屋の激闘の写真、ペリーの黒船の写真、江戸城の写真、徳川家康と千姫のサイン色紙、さらに特別においしいチャンコ鍋、日本酒、ビールなどもご用意しております。
これらのことを楽しめますから、相撲好き、新撰組を好きな人、江戸幕末の風情の好きな人には必ずや満足していただけることと存じます。
皆様の御来店をお待ちしております。
只今、誤楽時代劇観光商会では「日光江戸村女性相撲・見学ワー」を企画しております。
2027年1月から毎月3回、1日と11日と21日におこないます。
御希望の方はお早めに御申し込み下さい。
第1回となる2027年1月1日のツワーには私も始発駅である東武浅草駅まで皆様をお迎に参ります。
見学ツワー列車は貸し切り列車となり、食堂車では特別においしいチャンコ鍋もふるまわれ、特急スペーシアは早くもお祭りムードでにぎやかに日光駅をめざして走っていきます。
どうぞ皆さん、日光江戸村へ遊びに来て下さい。皆さんのお越しをお待ちしております。
このお話しの中には、つじつまのあわない部分があると思いますが所詮、これは誤楽時代劇ですので、その点はご容赦願います。
終り














