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京都祇園(ぎおん)の舞妓はんとして大フィーバー
月姫・星姫・姉妹の江戸での大活躍、大人気、大フィーバーのうわさは、
流れ、流れて遠く・京都の祇園(ぎおん)まで鳴り響いていったのです。
そして祇園(ぎおん)関係者、京都・紙芝居テレビなどが中心になって
江戸のスーパー・スター月星頭巾軍団の三人を 京都へ招待しようということになり
三人は大喜びで早駕籠のぞみ号にのり、京都へ向かったのです。
途中、富士山と名古屋城の近くでは休憩をとり、地元のファンにサイン会をしたのです。
この頃は1840年代で、新選組が京都で名をなす20年ほど前であり、月星頭巾軍団は江戸から来た
最初の剣客集団であったのです。
異国同然の江戸から訪れた三人は、京都に着くやいなや、京都の時代劇ファンの
大歓迎にあい、もみくちゃにされたのでした京都の人々は手に手に日の丸の旗ではなく
月と星の旗をもち、口々に「おいでやす」とさけびながら大歓迎したのです。
ルックス、スタイル、運動神経抜群の月星・姉妹は、踊りのうまさも抜群で
日本髪に着物姿の祇園(ぎおん)の舞子はんとなってすばらしい踊りを披露し、
大喝采を博したのでした。
100年ほど前に赤穂浪士の大石内蔵助が遊興にふけったという、
かの有名な「一力茶屋」でもすばらしい舞を披露し、京都じゅうの人々の
熱狂は極に達したのでした。
金閣寺前では歌謡ショーがおこなわれ、ベンチャーズの演奏で「京都の恋」
「京都慕情」「京の恋唄」…を熱唱し、ファンの熱狂はクライマックスに達したのでした。
彼女らは、わずか一夜、二夜にして京都でも大アイドル・スターとなり
京都でもファンクラブが結成されたのでした。
それ以降、毎年の京都もうでが年中行事となり、
江戸の大劇場・特別公演に続き、京都・南座公演もおこなわれるようになったのです。
得意の剣術に関しては地元の腕に自信のある剣術家との模範試合にのぞみ
10人以上の剣豪との戦いも軽くこなし、その桁違いの強さを京都の人々に
強くアピールしたのです。
あっというまの短い京都滞在でしたが、京都の人々に大きな
夢と希望と感動を与えて、3人は再び江戸に向かって旅立ったのでした。
京都御所にあふれるファンが、又来年の京都来訪を叫ぶ中、
京都・官軍・音楽隊の演奏の中、3人は静かに京都を後にしたのでした。
今風にいえば、彼らは江戸と京都の2つの姉妹都市の友好、親善を深める
観光大使、親善大使のような存在だったのです。