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はじめに
花のお江戸の人気者・徳川家康・犬康・馬康の花の徳川三兄弟
初めまして21世紀の時代劇ファンの皆様、私は徳川犬康と申しましてかの有名な江戸幕府、初代征夷大将軍であられた徳川家康公の弟で西暦1550年生まれの現在472歳でございます。
世界最年長の男性としてギネスブックに登録されています。
西暦1600年、関ヶ原の戦いの時は50歳
西暦1702年、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの時は152歳
西暦1868年、明治維新の時は318歳でした。
私は人間ではありますが、顔も歩き方も犬そっくりでしっぽをぶらさげてずっと犬のように四つ足でのんびり、たらたらと歩いてきました。
人間ではありますが、犬のように体調が悪いと動物病院に行って治療をしてもらっていました。
最近、医学は人間に対する医学だけでなく我々動物に対する医学も飛躍的に進歩し、昔なら治らなかった病気やケガも今では治るようになり、本当にありがたいことです。
私は現在500歳近い高齢ではありますが、比較的元気で生涯青春、300歳になっても青春、400歳になっても青春のいつまでもはてしなく若い、ヤングマンの気分で現在も娯楽SF・親父ギャグ時代劇の作家として娯楽時代劇・親父ギャグ商会の代表として脳ベル・娯楽・親父ギャグ文学賞を目指して執筆活動にいそしんでおります。
これは身の上話しとなりますが、実は私にはさらに5歳年上の「馬康」という馬づらの弟がいました。
彼も人間ではありましたが、顔も歩き方も馬そっくりでしっぽをぶらさげて、幼い時から馬のように四つ足で颯爽と歩いていました。
彼は幼い時から四つ足で走るのが速く、よく征夷大将軍であった兄・家康を背中に乗せて走っていたものです。
つまり兄・家康、通称タヌキじじいは馬に乗っていたのではなく弟の「馬康」に乗っていたのです。
その後「馬康」は回りからの勧めで競馬界にデビューし、家康の弟ということと「馬康、スマイル、ロケット」という名前もあってその人懐っこい笑顔、馬懐っこい笑顔とその素晴らしい人柄・馬柄とすばらしい「馬康ロケット走法」でぶっちぎりの強さでものすごい人気を博し、連戦連勝さす
が家康公の弟だと称賛されたのでした。
彼も又、まさに兄・家康に負けないほどの国民の、江戸町人のアイドルヒーロー・人気者だったのです。
弟の「馬康」はその名前のとおり、兄の「家康」や兄の私「犬康」よりもはるかに体が大きく力も強く、3人の兄弟で2本の後足だけで立って相撲をとるとめっぽう強く、いつも一人勝ちばかりしていました。
得意技は「上手投げ」ではなく、いかにも「馬康」らしい「馬手投げ」といういまだかってどんな相撲ファンも見たことも聞いたこともないような素晴らしい技で、この技で「家康」と「犬康」はいつも軽々とぶん投げられていました。
又「家康」と「犬康」の相撲の強さはほぼ互角でいつも勝ったり・負けたりしていました。
3兄弟の相撲の強さを番付の地位であらわすと「馬康」は横綱、「家康」と「犬康」は関脇というところだったでしょう。
なお西暦2023年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」に兄・徳川家康が主役として登場します。
遠い遠い昔のなつかしい思い出として私の心に残っている兄・家康の勇姿が400年ぶりに見られることを私は楽しみにしております。
今でも私は兄・家康公と弟・馬康の墓地に詣で年に何回かお墓詣りをして往吉を偲んでおります。
私は兄・徳川家康公をはじめとして、多くの歴史上の人物にお会いし思い出もいっぱいございますが、私の長い、長い5世紀にもわたる徳川犬康人生を振り返ってみますと、最も楽しかったのは私が300歳の頃、江戸時代の幕末から明治初期の頃だったと思います。
なぜその時期が最も楽しかったかと申しますと、それはその時出会った「月星頭巾&月姫・星姫」という日本最初のアイドルヒーローの素晴らしい活躍の数々、3人の名剣士の素晴らしい剣さばきとそれを見守る江戸の人々の熱狂ぶりが100年以上過ぎた今でもつい昨日の事のように鮮やかに懐かしく思いだされるからであります。
彼らの素晴らしい活躍の数々を21世紀の時代劇ファンの皆様にご紹介すべく、思い出すままに存分につづってみようと思います。
実はこの物語の主人公、月星頭巾こと天文学者、月星剣学博士は姓は私とは違いますが西暦1800年生まれで私より250歳年下の私の8代後の私のひい、ひい、ひい、ひい、ひい、ひい孫なのです。
なお「江戸幕府・開府500年・江戸東京祭り」出席の為、スーパータイムマシンを使って22世紀の世の中に舞い戻った家康と千姫の楽しいお話は第9章「花のお江戸の家康・千姫劇団 お笑い劇場」をご覧ください。
それではこの物語の主人公である月星頭巾こと天文学者・月星剣学博士について簡単にご紹介いたしましょう。
夜空に光輝く、月と星の数々
遠い昔の人々はそのすべてが自分で光り輝いていると考えていたのです
そんな昔の江戸時代に、その考えに大きな疑問をいだいて
月を見上げて、月と月の光を観測研究していた一人の天文学者がいました
その天文学者こそ、この物語の主人公月星剣学博士、その人だったのです。
月星剣学博士は月の光は月が自分で光っているのではなく
太陽の光を反射した光っているという、地動説に匹敵する世紀の大発見をし
天文学者としては世界最高の栄誉であるガリレオ天文学賞を受賞したのです。
さらに彼は悪のはびこる悲惨な世をうれいて、月光星空恋頭巾と名のって
正義の一刀流・月光星空恋頭巾となり、得意の剣術をつかい、人々の為、悪と戦ったのす。
月光星空恋頭巾の活躍は、暗い世相に苦しむ江戸の人々に夢と希望と勇気を与え、
彼はまたたくまに江戸の人々の英雄・ヒーロー・アイドルになったのです。
この物語は月星剣学博士・月光星空恋頭巾の活躍をつづった娯楽時代劇です。
時代劇ファンの皆様、歴男、歴女、江戸男、江戸女の皆様、200年前の幕末の江戸の町に
タイムスリップした気持ちで、彼の活躍にしびれながらどうぞごらん下さい。
第1部 徳川犬康 原作
時代劇「花のお江戸の快男児・月光星空恋頭巾」
第2部 徳川犬康 作詩
歌謡ショー「月光・星空・恋頭巾・主題歌メロデー」
「夜空の英雄・銀河にきらめく月光・星空・恋頭巾」
以上の2部構成となっております
どうぞ、ゆっくりお楽しみ下さい。
超低レベルの男のロマンを追って!
今から200年も昔の江戸時代末期、かの伊能忠敬は日本地図をつくる測量の為、60歳・70歳の老体にムチうって素晴らしい男のロマンを追って日本の北から南まで歩き続けたと言われています。
又、今から半世紀ほど昔の昭和の終わり頃、林家三平・渥美清・小松政夫・やすしきよしに代表される昭和のお笑い芸人は人々の心をハッピーにする楽しい笑いの数々を振りまき、大きな人気を誇っていたと言われています。
私も及ばずながら「娯楽時代劇」「親父ギャグ」という伊能忠敬や昭和のお笑い芸人と比べたら、超低レベルの男のロマンを追っておもしろく、ばかな話を書き続けていこうと思っております。
「月光・星空・恋頭巾」という主人公の名のとおり、心をハッピーにする「月」と「星」と「恋」のお話がいっぱいの楽しい「娯楽時代劇」を目指して書いていくつもりです。
一人でも多くの人々がこれを読み、笑い、歌って楽しんでいただけることを願っています。
作者 徳川犬康
[世にもつまらない「親父ギャグ」ヒットパレード]
さあさあ皆さん、世にもつまらぬ「親父ギャグ」の登場です!
それではフィーバー!フィーバー!
これらの「親父ギャグ」は第1話から第100話までのお話のところどころに登場いたします。
どうぞ御期待下さい。
愛すコーヒー、愛すティー、俺ん痔ジュース
ビビンバとヤマンバ
コニャックとこんにゃく
はまちとハウマッチ?
このいくら、いくら?
はげが食べるアイスクリームはハゲン・ダッツ
糖尿だよおっ母さん
ベタボレック・シンドローム
吉原炎上・交際
ア・ハッピー・乳・イヤー
演歌ナトリウム
蟻(あり)が10匹、ありがとう
和尚(おしょう)が2人で和尚がツー(お正月)
南海・虎フグ・巨大地震
国定チュー痔
週刊体臭
性感連絡船、性感トンネル
年増の女性がいっぱいいる区は豊島区
赤ちゃんがいっぱいいる国は乳児~ランド
昔、ヨーロッパで食パンばかり食べていた作曲家はショパン
■現在配布中のチラシから