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「月光の太陽光反射の法則」により、ガリレオ天文学賞に輝く
月光の観測・研究に没頭すること10年、1828年(文政11年)、彼は江戸国際天文学会において
「月光の太陽光反射の法則」を発表し、世界中の天文学者を仰天させたのです。
この彼の世紀の大発見は彼の評価を一躍高め
アメリカのニューヨークタイムズは「東洋の島国、日本にはガリレオに匹敵する大天文学者がいる。
それは、月光博士・月星剣学博士だ。
今回の月光に関する大発見はかつての地動説に匹敵する世紀の大発見で、
それにより彼はガリレオ天文学賞の最有力候補になった」と報じている
その予想どおり、翌年1829年(文政12年)彼は弱冠29歳ながら
見事、天文学者としては世界最高の栄誉であるガリレオ天文学賞に輝いたのです
彼の快挙は、火事、暴動、病気など悲惨な事件に苦しむ
江戸の人々の心に大きな夢と希望と勇気を与えたのです。
江戸の人々の喜びは頂点に達し、花火を上げ、提灯行列をし、踊りあかし、
まさにお祭り騒ぎとなったのです。
イタリアから贈られたガリレオ天文学賞の賞金は、当時の日本のお金にして
2,000両、今のお金に換算して約1億円であった。
その大金はそっくり彼の江戸銀行の口座に入り
そこ後彼がおこなった、いろいろな社会福祉事業の基金となったのです。
なおこれは実につまらない余談にはなりますが、月星剣学博士は月よりもさらに遠い惑星である火星の観測・研究にも熱心で、その結果火星に住む火星人はほとんど火星(仮性)包茎の患者ばかりだという実に娯楽時代劇らしい世紀の大発見を成し遂げたのでした。
その結果、月星剣学博士は世界に通じるすばらしい天文学者だという評価だけでなく、ユーモアにも通じた娯楽時代劇、お笑い時代劇の作家にもなりうるユニークな才能ももった大人物だという評価も獲得したのです。
今後はこのような感じのばかなお話を次々と書いて参ります。
皆様、今後ともどうぞ御愛読のほど、どうぞよろしくお願い致します。