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大きく進歩したのです。
「パンツ・洋式便器の時代」へと500年もの年月をかけて
この娯楽SF時代劇のホームページのアクセス数はジャンル別の集計で10位以内に入っているのだそうです。
ありがたいことです。身に余る光栄です。
そこで、さらに順位を上げる為にアクセス数を増やす為に小生が得意のばか知恵をしぼりにしぼってそして「あいつはくさいことやばかなことをネタにしないとお話を書けないしょうもない三流作家だ」と思われるのを承知のうえで書き上げたのが、この世にもハチャメチャなこのお話であります。
どうぞ、皆さんご覧ください。
読者の皆さんも前作74のナゴヤドーム「家康・千姫祭り」公演のお話を見て「この娯楽時代劇のホームページもようやくまともになって、ふんどし、洋式便器などといったしょうもないお話から卒業したか」とお思いになったかもしれません。
私もそうありたいなと常々願っているのですが、情けないことではありますがこのホームページは残念ながらふんどし野外共同トイレ・パンツ・洋式便器などといったしょうもないお話が一番似合っているのです。
ハチャメチャモードのお話が一番似合っているのです。
それでは、読者の皆さんの絶大なるご要望がある訳ではありませんが、再びふんどし・洋式便器などといったしょうもないお話に御登場していただきましょう。
読者の皆さんも納得できないでしょうが、我慢に我慢を重ねて読んでやって下さい。
読者の皆さんに散々笑われ、バカにされながらもくじけずに、あいも変わらずばか話一筋、肩身の狭い思いをしながらもばかなことばかりを書き続けている作者の徳川犬康もさぞかし喜びさらなるばか知恵も浮かんでくると思います。
前置きが長くなりましたが、それでは本題に入りましょう。
地球上のほとんどの人間は500年昔の「ふんどし、野外共同トイレの時代の様子」と現在の「パンツ、洋式便器時代の様子」のうちのどちらか片方しか見ていないのです。もしこのホームページを見ている人の中に「両方をじっくり見た」という人がいたとしたらその人はまさしく地球上の人間ではなく、化け物なのです。
500年昔の「ふんどし、野外共同トイレの時代」を実際に生き、そして400年以上もの長きにわたる居眠り的タヌキ眠りから覚め、再び21世紀の「パンツ、洋式便器の時代」に舞い戻った家康・千姫の御両人こそはこの2つの時代の様子、臭さ、すばらしさをよく知る人類史上二人といないまさに最高の生き証人、化け物なのです。
この御両人に対して、我らがアイドル・柿崎パン粉アナウンサーが取材し、その内容をまとめ表にまとめました。
ご覧ください。
家康・千姫のお二人は500年昔の「ふんどし、野外共同トイレの時代」のひどい・くさい生活をもう思い出したくなかったのでしょう。
最初はなかなか語ろうとはしなかったのです。
しかし、最後はパン粉ちゃんの再々の要望にこころよく応じてくれ、とつとつと語ってくれたのです。
さあそれではお二人には思う存分、500年昔の楽しく、くさい出来事を語っていただきましょう。
「21世紀の科学の進んだ衛生的な生活を過ごしている皆さんに私たち二人が500年昔に味わった『ふんどし、野外共同トイレ時代』の生活のひどさ、悪臭のくささを話しても信じてもらえないでしょう。
お粗末な生活不衛生な生活などという言葉だけでは言い表せないほどの、それはそれはひどい生活、くさい生活でした。
全てを話していたらきりがありませんので、皆さんが見てくさいが楽しいと思われる、「ふんどし」と「野外共同トイレ」この2つだけに絞ってできるだけ楽しくわかりやすくお話させていただこうと思います。
あまりのひどさとくささで気分が悪くなった方はホームページを閉じて、しばらく休憩してください。深呼吸をしてください。
それでも再度ご覧になりたい方は栄養ドリンクでも飲んで気力・体力をパワーアップして再挑戦してください。」
「あの当時の肌着であったふんどしはただ家の中にある細長い布を腰に巻いている巻物だけではなかったのです。
もっと驚くべき隠れた楽しい用途があったのです。
あの当時は今のような肌触りのいいトイレットペーパーなどなかったのです。野外共同トイレで用をたした後、ふんどしのはしでお尻を拭いて家に帰るのです。家に帰っても今のような便利な水道も洗濯機もなかったのですから洗うこともせずにとりあえず晴れた日は家の外に干して乾かしたのです。
乾けばくさいにおいがしようが濡れているよりはいいのです。
あの時代はふんどしに何が付いていようが、くさかろうが乾いていればそれで最高だと思って履くしかない、そんなレベルの生活だったのです。
こんなことは歴史上の書物を見てもほとんど書かれていませんが、これが紛れもない事実だったのです。こういう分野に関する研究においては、このホームページはどの一流大学にも負けないほどの最高のレベルにあると申せましょう。
もしこれが嘘だとお思いになる方は、近々私(家康)と千姫が『江戸時代・ふんどし・野外共同トイレ500年昔のきたなくささ体験バスツアー』を毎日開催いたしますから、是非参加していただきたいと思います。
実際に500年昔のふんどしをして野外共同トイレで用をたしていただきます。
トイレットペーパーなどない時代ですから、ふんどしのはしでお尻を拭いていただきます。
ご自分の目と鼻で500年昔の汚さ、くささを嫌というほど味わっていただき生涯のよき思い出としていただきたいと思います。
なおこのバスツアーはまず最初に浅草浅草寺のすぐ近くにある、江戸時代から続く日本最古の商店街「仲見世」に参ります。ここの江戸時代風のお茶屋で御食事をしていただきます。
この食事は医学的にいいますと食べてから1時間後に必ずトイレに行きたくなる食事なのだそうです。
続いて、これまた日本最古の野外共同トイレとして、その汚さとくささで江戸中にその名をとどろかせ来場者が殺到したといわれるユニークな観光名所「江戸・野外共同トイレパラダイス」に参ります。
ここでふんどしをして用をたしていただきます。
終わってからの帰りは特別なバスに乗っていただきます。
大きなバス(浴槽)のついたバスに乗っていただきます。
そこからは男女別々に男湯バスと女湯バスに乗って心と体のくささを流していただきます。
参加料金はお一人様¥2000となっております。
なぜこんな安いのかと申しますと実はこの体験バスツアーには、国からの補助金がかなり出ており、これでこのよう割安料金となっているのです。
貴方様の体験バスツアーへのご参加を心よりお待ちいたしております。
あれから3ヶ月が過ぎました。
体験バスツアーはすごい人気となり、参加希望者が殺到しました。
1日の定員が50人乗りのバス2台の100人なのですが、毎日その10倍以上の1000人以上の人が参加を希望して殺到したのです。
主催者の娯楽時代劇商会はしょうがなく抽選で参加者を決めたのです。
参加者の内訳は以外に女性が多く、しかも若いギャルが多くバスの中は若いギャルでいっぱいでした。
若いギャルたちはピクニック気分で参加し、ものすごい悪臭の中でもひるまず江戸時代のふんどしを履いて野外共同トイレで用をたし、ふんどしのはしでお尻を拭き大はしゃぎでした。仲間たちの様子をデジカメで撮りまくって大はしゃぎでした。
最後に共同トイレの前に参加者全員がふんどしを履いたまま集まり記念写真を撮りました。
この写真は出来次第、一週間以内に参加者の住所に送られることになっております。
さらに、共同トイレ前の売店では「江戸・野外共同トイレパラダイス」の名前入りの帽子・Tシャツ・ふんどしなどを販売し、皆さんが買われておりました。
参加者は皆すごく楽しそうで、生涯のよき思い出となったようです。
さらにもう1つ、500年昔にあったふんどしと野外共同トイレにまつわる楽しいお話を御紹介いたしましょう。
畑や野原の真ん中に野外共同トイレがあるのですが、楽しいが困った熊ったことも時々起きたのです。
この野外共同トイレには人間だけでなく馬や犬もやってきて、仲良く世間話をしながらようをたしていたのです。
実に心温まるのどかな田園風景ではありませんが、それはそれでいいのですが、雨が降った日などはこの野外共同トイレの穴の中にかなりの雨が貯まるのです。それを見て馬などがこの穴を露天風呂だと勘違いをして、履いているふんどしを脱いで飛び込むのです。
そして、その直後に馬はあまりのくささに仰天してふんどしを脱いだまま飛び上がり、物凄い悪臭をプンプンと四方にまき散らしながら、辺りを走り回るのです。
その結果、人々はすごい悪臭に悩まされたのです。そのようなことが江戸の各地で頻繁に起きたのです。
それに困り熊りはてた江戸の人々は野外共同トイレの穴の近くに、「ここは共同トイレです。露天風呂ではありません」という立て札を立てたのですが、字の読める馬はいいのですが字の読めない馬はこの穴を露天風呂と勘違いをして、1日に100匹以上の馬が飛び込むのです。
こんなことを書くと読者の皆さんは「何だ、江戸時代には字の読める馬がいたのか?」と不思議に思われるかもしれません。
娯楽時代劇雑学研究所の調査によりますと日本史の書物や教科書などには一切記載されていませんが、実はその頃江戸には人間の子供たちが勉強する寺子屋と馬の子供たちが勉強する馬小屋の2つがあって江戸には字の読めるインテリの馬が結構いたのです。
そのインテリの馬の中でも特に優秀な馬は馬小屋の先生になったり、ホームページに娯楽時代劇を書いたりしていたのです。
なおこの馬は娯楽時代劇研究所の長年の研究の結果、徳川馬康などという洒落たペンネームを名乗っていたことが判明しております。
江戸時代には風流な馬がいたものです。
さらにこのホームページの原作者の徳川犬康というペンネームもこの馬のペンネームからヒントを得て、付けたものと思われます。
これらのインテリの馬は江戸の馬社会の中でも社会的地位もあり、お洒落な馬などは花柄の派手なふんどしを腰に巻いてしゃなりしゃなりと歩いていたのです。
もちろん当時の馬でパンツを履いている馬など一頭もなく、お洒落な馬がふんどしを履いている程度だったのです。
最後にいくつかの素晴らしいデータを表にしたイラストをお載せします。
どうぞご覧ください。
このような変遷をたどって日本人の生活様式は500年もの年月をかけて、大きく進歩したのです。
この度はこんなしょうもない、くさいお話に長い間お付き合いいただき誠にありがとうございました。
明日からはこんなしょうもない、くさいお話のことは忘れてトイレでウォシュレットを使えるような衛生的な生活に深く感謝してお元気にお過ごし下さい。